挑戦あるのみ。走って走って走りまくれ!

プロフィール

まもすけのドン底人生から再生・超ノウハウコレクタ脱却~逆転までの道のり

 

はじめまして。まもすけです。

このページではまもすけのプロフィール・今までの生い立ちを書いています。
僕がどんだけノウハウコレクターだったかなど全てをさらけ出しちゃいます。

こいつバカか?思われるかもしれませんがどうか最後まで
ご覧いただけたら幸いです!

Evernote Camera Roll 20141210 101129

【第1章 簡単な自己紹介】

名前:五十嵐 護(いがらし まもる)
ハンドルネーム:まもすけ
生年月日:1978年10月2日 (現在37歳)
干支:午年
血液型: O型
身長: 175cm
体重: 74kg
住んでいる所:千葉県千葉市緑区
出身高校:千葉経済大学附属高校(高卒です)
家族構成:小学5年生 息子(現10歳)
幼稚園年長 娘 (現5歳)
年上の鬼嫁 4人家族
趣味:空手・アコスティックギター・筋トレ・
鉄道(乗り鉄)ドライブ・家族旅行・水族館巡りなどなど
好きな歌手:長渕剛・Superfly
好きな女優:山口智子(唐沢寿明の奥さん)
好きな言葉:継続は力なり
嫌いな言葉:何とかなるさ
(いつも自分で言っていて、この言葉を使って逃げてきてばかりいたから)

僕のノウハウコレクター実績

こちらからご覧になれます

簡単な自己紹介はここまでで・・・

 

これから自分の生い立ちを紹介していきます。
僕の挫折人生とでもいいましょうか。

長くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。
ではでは

【第2章 生まれてから小学生時代】

千葉県船橋市で生まれました。
兄、姉、そして僕は次男坊の5人家族になります。
保育園に通っていましたが、いつもいつも行きたくないと言っては
泣いていた記憶があります。

登園前にお腹が痛い、頭が痛いと言っては仮病で休もうとしていたみたいです
※あまり僕は覚えていないのですが、母親が今でも言ってきます。

保育園が終わると笑顔に戻り登園前の半べそはどこいったのかとも今でも言われます。

そんな状態が保育園まででは無く、小学校入学してからも続いていたと思います。

とんでもなく泣き虫野郎でした。
小学校2年生から父親と兄が野球をやっていたという事もあり別に僕は野球を自分からやりたいと言った覚えはありませんが父親が少年野球のコーチをやっていたので、強制的に野球をやるようになりました。

心から野球選手になりたいとか、野球が大好きだった訳ではなくそういう運命だったと思います。特に足が早いとか、ばつぐんに運動センスがある訳でもなくごくごく普通な子供でした。

 

ここまでは普通な少年でどこにでもいるような子供でした。
僕らの時代は、ファミコンのスーパーマリオブラザーズやドラクエが流行り没頭してやっていました。
ビックリマンシールやキン肉マン、ミニ四駆なども流行っていました。
ビックリマンシールはシールだけ抜いて、お菓子は捨ててました・・・

でも小学校6年生になり、クラスの仲間と今だったら社会問題になるような悪さばかりしていました。
クラスメイトの女子をいじめるのは当たり前で、ちょっかいを出す程度の問題出はなく、暴力は振るうわで本当に悪ふざけの度を越すようないじめでした。今だったら親たちを集めて集会するレベルです。
今自分の息子が同じような事をやっていたらと思うと気絶しそうです(笑)
本当に今は反省しております。
しかし反省する事はこれだけではありません。クラスメイトの女子をいじめるだけではありませんでした。クラス担任の先生にも悪さをしていました。

 

今で言うと【学級崩壊】です。
チャイムがなって授業が始まってるのに校庭で遊んでいたり
わざと遅れてクラスに戻ってきたり。

担任の先生は鼻の穴が大きかったので先生を鼻デカと呼んだり・・・
今でも忘れられないのは、教室の隅っこに未開封の牛乳がずっと放置してあったんです。
もう賞味期限が数ヶ月も経過している牛乳です・・・・
それを給食の時間に新しい牛乳とすり替えたんです・・・・担任鼻デカの新しい牛乳と・・・
この後の展望はご想像にお任せします。

そんな悪ふざけが日常な日々でした。

あと、牛乳ネタになりますが、飲みかけの牛乳をトイレの窓から投げ捨てたり
中身が入っているパックを思い切り踏みつけて爆発させて床を牛乳だらけにしたり
思い出すだけでわるふざけの事しか思い出せないです。

そんな事やりませんでしたか??

その代わりに今ではやったら体罰になるくらいビンタされてましたw
まぁ仕方ないですね。
もう25年も前の話になるので時効だと思いますので・・・

あ、少年野球はちゃんと続けてましたよ。
一応野球チームのキャプテンとかやらせてもらって4番ショートやピッチャーを
やってました。この頃からプレッシャーに弱くてチャンスに打てない4番でしたが。
そんなこんなで小学校を卒業して
(卒業式の日までなんか怒られていたような気がしますが)
地元の中学校へ入学します

 

【第3章 中学校時代】

 

中学校に入学すると、そのまま野球部へ入部。

もうこれくらいの年になると、野球も好きなスポーツになっていて、野球中心の生活になっていました。いつも野球の練習や試合に明け暮れていました。中学1年生からレギュラーではありませんが、ボチボチ試合に出させてもらったりレベルが高いか低いかは別として、勉強よりも野球に没頭していたかもしれません。

中学2年の時は、思春期というんでしょうか・・・変にかっこつけたりしていました。髪型をびしっと決めたりして、女の子を常に意識していました。少し野球より女の子を意識していたかもしれません。この時代はまだ携帯も無かった時代でしたので交換日記などしていた事があります。

 

中学3年生になり、野球部では部長(キャプテン)になり少しチヤホヤされていました。でも、真面目に練習する奴としない奴が出てくるんですよね。中学生になると僕は小学生時代と違って真面目に過ごしていて、かつ部長だったので野球も好きだったのでちゃんと練習をしようという方でしたがそれに反する輩もいたわけで、部内で派閥があり、嫌われていました。

言っても言う事を聞いてくれないとかも多々あり、あまりチームワークは良い方ではなかったと感じでしたね。今思うと。

そんなこんなもあったんですけど船橋市の大会では準優勝までいき中学野球も引退して受験勉強やらなんやらでした。

体育祭では応援団長などして、今まで人生でモテ期が中3でした。なので彼女もいました。この当時ではマセていたかもしれません。中3の野球引退してから卒業までが中学校生活の中で1番楽しかったですね。

 

【第4章あまり良い思い出が無い高校時代】

 

さて、高校進学はどうなったかと言うと、冒頭でも書きましたが
兄(7歳年上)、姉(4歳年上)がいたのですが、兄も姉も千葉経済大学附属高校に進学してました。

兄は野球部、姉は野球部のマネージャーをやっていたので、そのつながりがあり難なく推薦入学で高校進学する事が出来ました。なので全く中学受験勉強はしていません。これが後々、後に引いてくるようになります。高校に入学、そのまま硬式野球部に入部、レベルが低い出来たレールにそのまま乗っかってしまった感じです。

 

僕もそういう人生なのかなと無条件に思っていました。もう野球はやらないとかそんな気持ちもありませんでしたし、勉強やならくて良い、ラッキーとか思っていたのでここで経済高校に入らなかったら、親の立場も無いな~なんて考えてましたし。

 

それがダメだったんだなと今後悔している部分でもあります。そんなんで硬式野球部に入部したのですが、入ってすぐに辞めたくなるという・・・

まず上下関係が以上に厳しく、変なルールもあり。。。学校の自動販売機、学食使用禁止。挨拶のお辞儀は90度まで曲げる。本来の集合時間のなぜか1時間前集合しなくちゃだめとか訳のわからぬ変なルールに縛られて練習は夜8時までやって帰宅するのは夜10時とかでウチの高校はグランドが別にあって授業が終わってから野球部専用バスで40分位離れた所にあったんです。なので高校⇒グランド⇒自宅の繰り返しの日々でした。

 

当時の経済高校はギャルが多く、スカートも短くて目の保養にはなってました(笑)しかし、全く仲良くなんかなれず相手にもされない状態で全く女子高生とは無縁の世界でした。まぁ彼女なんてもし出来て、バレたら大変な事件になっていたと思います。

 

高校野球になると、色んな市から部員が集まってくるのでレベルの違いが大きく出て、僕はレギュラー何かにはなれず、補欠人生でした。声はデカかったのでランナーコーチャーでしたけどwもちろん県大会は2回戦とかで負けてあっさり引退しましたがはやく高校野球終わって自由が欲しかったのは今でも覚えています。

 

辞めなかっただけでもマシかなwww
監督の選手好き嫌いとか、はっきりわかっていたり、ダラダラただ長い練習とか楽しみが全く無い高校野球生活でした。甲子園とかであんなに燃えて一生懸命やっている同じ高校球児を見ていて羨ましい気持ちしかありません。

野球は数年前まで草野球とかやっていましたが、やるスポーツというより見るだけで十分なスポーツになってしまいました。でも高校野球終わってから、何をして良いか解らず、何をしたいという気持ちも有りませんでした。

 

【第5章 高校卒業⇒就職・・・ここからなんか人生が変わりはじめた】

高校野球を引退してから何をしていいか解らず、とりあえず大学附属高校だったのでとりあえず大学にでも行こうと思っていました。偏差値も悪くもなく良くもなかったですが、大学附属という事もあり100%入れるかはわからなかったけど、入れるレベルという感じだったのでとりあえず、ただとりあえず行こうと思っていました。

 

でもここからが僕の人生が変わった所かもしれません。
土木業で自営業をやっていた父親だったのですが、バブル崩壊という事もあり事業が不振になってしまい危うく倒産になりかけていた時期でした。

 

そんな中、大学に行こうと思っていたのですが、親に言われました・・・
「大学は諦めてくれ」
そこまで親の仕事の事に関心はなかったのですが事情を聞き大学進学を諦める形になりました。その時は残念な気持ちもあったのですが、まあいいか、仕方ないという気持ちもあり、就職して働いてお金もらえるから働こうという感じでした。僕は高校の商業科だったので、まだ就職先はあったので
高校野球部の部長先生から 紹介を受けて全く勉強や就職活動しないで金融機関の信用組合に入社しました(組合なので入組というらしい)

 

19歳の高校出てすぐに就職・・・

社会なんて全く解らない僕・・・働いてすぐに辞めたいと思いました。信用組合って地域密着型の銀行の小さい版なのですが、商店街の取引先の小売業やっているお店に行き売上の集金や個人でやっている積立の集金、それプラスでローンやカードローンを勧めたりして、バイクのカブで1日中外を営業していました。お金を扱っていたので、とても慎重にやっていたのですが、たまにミスをする事もあり、でもそのミスでいつも優しい取引先の人が急変して怒鳴られたりしたのを見て、僕も悪いのですがお金でこんなに人って変わっちゃうんだと社会人なりたての僕にはあまりにも衝撃的とショックでやる気をうせてしまい、

また、「なんで俺、働いてんだろう?」

と不可解な事を考えるようになり、全くやっているフリをしているだけ、必要最低限の事しかやらない人間になっていました。←19歳の頃

 

このままではダメだと19歳ながら考えたあげく、
いままで野球をやってきていたという事もあり、ただ野球に携われる仕事がしたいと思い、何ならスポーツトレーナーにでもなるかと思い、1年半で会社を退職。この退職ちょっと前に今の嫁と出会う事も出来たのでその辺は良かったのかなと・・・?!

 

ちなみにその信用組合は経営破綻して今は跡形も有りません。

 

退職してからどうしたらそんな仕事に就けるか?考えた挙句に、マッサージとか勉強しないとだめだろうって事でスポーツ医学を学べる整体学院に入る事に。学費は国民金融公庫に借りて、バイトして返済する事にしました。整体を学び、スポーツトレーナーになると夢を抱いていたのですが現実を目の当たりにする事になろうとは思いませんでした。

整体は国家資格ではなく民間資格・・・そんなのでトレーナーになれるなんてほんのひと握り。しかも各スポーツチームにトレーナーなんて数人いれば充分の世界。なれる訳無い・・・

整体学院に入ってから「柔道整復師」や「理学療法士」なんて国家資格があるという事を知り・・・・

今更また学校で国家資格の勉強なんてそんな費用・・・
整体学院に払ったお金・・・総額約200万(´Д`;)

※毎月5万の5年返済で完済しましたが 汗
そこでトレーナーの道を諦める事に・・・全く何も調べないで、やりたいをやるなんて無理なんだと・・・・勉強になりました。

でも整体で独立・開業が出来るんだという事はわかっていたのでじゃあ独立したい!と思い続けて、整体の手技などは取得はしました。その為に、実際に肩こりや腰痛を患っている人を施術してみたいという

気持ちもあり、整骨院や整形外科でアルバイトもした事があるのですが・・・またそこで挫折を味わうハメに・・・(笑)

整骨院も整形外科も皆、柔道整復師さんや鍼灸師ばかり。

 

整体?なにそれ?

資格無い人間が何言ってんの?そんな感じでした。

いやいや、俺は募集があったから応募して入ったんだけど・・・・
資格が無いのに患者さんの体には一切触れる事が出来ず、ただ補助でした。

あ~そうなんだ。
資格無いとダメなんだと。
整骨院は有資格者との壁がありすぎて馴染めず辞めてしまい整形外科の医院長先生は、お金を貸してあげるから、学校に行って柔道整復師の資格を取得
しなさいとも言われました。が、お金を借りて学校に行って資格を取得できたとしてもなんかね~それもどうかなと考えてましてや整骨院の開業費は普通に1,000万円は当たり前でその時はさすがの僕も少しは考える頭は有りましたら。

そこはキッパリ断って、またそのまま辞めちゃいましたwでも、両方共、色々な症状で来院してくる人も見れましたしね。整形外科に至っては、レントゲン撮影があって、どんな骨折とか見れたし医院長先生も細かく教えてくれたので勉強にはなりましたけどね。

 

そんなこんなで、でも整体で独立するんだとその気持ちは揺れる事無くいたのですが、なかなか思うように行きません。その時は22歳でした。
独立したい!!とただそれだけを思っていて両親に相談。まぁひどかったですね。猛反対、猛反対で・・・そんなんうまく行くわけない。

お金有るの?まだ若いのに何言ってるの?世の中そんな甘くない。応援でもしてくれるかなと思いきやまさかの大反対攻撃。

今の奥さんとはその時付き合っていてもう3年近く付き合っていました。年上の奥さんなので結婚も考えていたので奥さんの両親にも大反対。奥さんにも大反対をくらいました。その時は奥さんの言う事は聞いていたので(今も聞いていますw)
結婚してからでも遅くないんじゃない?という事であ~そうか~と納得したようなしていないような気持ちでしたが一旦独立の道は諦めて、結婚する事になりました。

 

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※今は全く整体に関わった仕事はしていません。、また整骨院もそこらじゅうに
開業していますよね~昔は柔整師や理学療法士の学校って数限られていたのですが
今は規制が緩和されていて、学校数も増えています。なので誰でもお金さえあれば
学校に入れてしまうのです。ってことはどういう事か・・・資格者が増えてしまいます。

そうなると開業する人も増えて、更に競争が激しくなります。
ましてや保険制度も厳しくなっていると聞くので・・・潰れている整骨院も多いのも現実です。

理学療法士に関しては人が溢れている状態みたいです。飽和しているとか・・・
なので働き口がなかなか見つからないみたいです。
そう考えると、医療の道に外れて良かったのかとも考えられる今日この頃です
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話は戻りますが、結婚した以上、働かないとダメなので、働いた場所は元信用組合の先輩が鉄筋加工工場で働いていて、人手が少ないという事を聞き、とりあえず働かしてもらいました。結構僕は今までの畑違いの業種でも何かと対応できてしまうところがあるので徐々に慣れていって、そこで働いていた方々も職人さんが多く、口も悪い人も多かったですが、悪い人は居なくて働きやすかったですね。

でも働きやすい所に限ってまた不運があるもので・・・

その当時建設業は景気が悪くて悪くてどうしようも無かったみたいです。鉄筋加工の下請け会社だったので仕事が入ってくるのが激減し、働いていた会社が日当月給だったので、仕事が無いと帰らされる事が増えていってしまいました。午前中で帰らされる事や明日休めって事もだんだん増えていきそうなると月の収入が減ったりするなんて日々が続きました。

結婚したてだったのですが、奥さんもそんな状態が続くとなると、不機嫌に・・・険悪な雰囲気だった新婚生活だったのを思い出します。

 

そんな状況が続いているとさすがにヤバかったので転職活動を始めましたがなかなか転職先が見つからない・・・約10社位面接やら履歴書送ったけど、落とされました。学歴が高卒って事もあり、募集要項に大卒以上ってのが多く学歴社会の差が目に見えてわかりました。

 

そんな中でやっとみつかった転職先が今も働いている勤務先になります。元信用組合の先輩にちょっとこのままだと収入も安定しないし、状況をはっきり伝え、鉄筋加工会社を退職し、新しい会社に転職する事が出来ました。

【第6章 今の会社で働きながらネットビジネスを始める】

 

ここまでお読み頂きありがとうございます。まだあんのかよっ!って思われたかもしれません。
でももう少しお付き合いくださいwww
今の仕事に就き、収入も毎月決めれられお金が入るようになりました。子供も2人産まれ、マイホームも購入しました。結婚して家族が出来て、マイホームを購入して、家族を守って養っていくのはもちろん当たり前の事です。

世間からみたら順風満帆で幸せな家庭だねと思われるかもしれません。ただその中でこのまま俺の人生終わってしまうのだろうか?
家族を養っていくなかで、今の生活に自分の楽しみがあるのか?ただ養っていくだけで良いのか?仕事と家に帰っての繰り返しがほとんどの生活の中でふと疑問がよぎりました

 

今もそうなのですが、本業の月収からこづかいは1万5,000円(泣)

そんなんで何が出来るの?30歳を超えて1日500円生活・・・

 

当たり前って思う方もいるかもしれませんが、僕には嫌で嫌で仕方ありませんでした。家庭内は僕がいつも不機嫌にしていて険悪なムードが漂う日が幾日もありました。奥さんと喧嘩もしょっちゅうでした。なんでこんなに働いているのに何も変わらないんだって!わがままでどうしようもなかったです。まるで中学生の反抗期みたいでした(笑)

結婚していない独身の人が自由なのを見て、羨ましくて羨ましくて仕方ありませんでした。でも自分には離婚する勇気なんてものは無くただただ時間だけが過ぎていきました。でも何かを変えたいって思って。じゃあどうしたら良いのだろうか?って事で始めたのが副業です。しかも警備のバイト・・・

まだその時はネットビジネスなんてあるのは知りませんでした。本業が休みの日はほとんど警備のバイトに行ってました。

 

かと言って何か変わった事など何も有りません。誘導棒の振り方は誰にも負けませんですけどねw

 

僕の身勝手なストレスは解決出来ていないままでした。そんな中、2012年1月位だったかな。何かないか?どうしたらいいのか?ネットでいろいろ検索していました。その当時くらいからフェイスブックが流行り出してきた時でもあります。

楽しくて色々投稿したりしていました。とするとフェイスブックで広告を見つけました。

 

なに・・・・
いいね!で月収100万
?!
ここで初めて僕はネットビジネスというものを見つけたのです。それは○○さんが主宰するフェイスブック塾というものでした。レターを見てみるとアフィリエイトの事とかも書いてありこれは凄い!!と目から鱗状態でした。僕は実際に○○さんに直接電話して内容を聞き、しかも○○さんとは自宅が近く、これは絶対に何かの縁だ!俺は恵まれている!これはイケる!など勝手に判断し、即座に入塾。コピペだけで月100万稼げるのかともう何もしていないのに稼いだ。という気分になっていました!

 

入塾費198,000円也

 

この後の予想はご想像にお任せします(笑)

見事に撃沈です・・・でも無料オファーは数件ですが取れました。まぁ僕の借金生活の始まりでした。そしてこの時期に体調も崩してしまいなおかつノロウイスルにも掛かってしまうハメになってしまいました。約1週間ほど本業も休んでしまい、その休んでいる期間にネットで色々検索してみて、ネットビジネスの事を調べまくりました。そうしたら出てくる出てくる。月収100万、200万ましてや1000万という文章やレターが。そんな中とあるアフィリエイターさんと連絡を取る事が出来てその方から自己アフィリエイトの事を聞き、自己アフィリエイトを実践したところ、15万円位稼ぎました。

その稼いだお金で情報商材を購入。
そしてまた購入。不思議なもので中身を見ないのに稼いだ気分になっていました。実際に買った商材を見ると、今では内容は理解できるのですがその当時の僕にはさっぱり解らず(王道商材で全てが記載されているのですが)これも撃沈状態でした。

無料レポートをやるにしたってネタが無い・・・

読者なんて集められない・・・・
ブログなんて書いた事無いのに書けっこない・・・
その商材は間違った事は何一つないのですが、時間も無いし、作業も出来ない。全ては夢を見ているようでした。そんな世の中甘くないんだなと実感した事を思い出します。それが2012年2月頃からの出来事でした。その年の3月にはインフルエンザに掛かるなど本当に本当に何もかもうまくいかない日々が続きその後も商材を買っては試してみるものの諦めて挫折の繰り返しを何回も行なっていました。

 

セミナーに参加したり、そのセミナーで出会ったプログラマーの方のコンサルを受けたり。リストが集められるツールを買ったり。またメルマガ広告にお金を出してなにかオファーをした事もあり、総額で高級時計が買える位のお金を使いました。後ほど僕が買った商材一覧をお見せします(笑)

 

【第7章 空手を始める。そして師匠、せどりと出会う】

 

僕は小学校2年生から高校まで野球一筋で高校卒業しても草野球をやっていたりして、長嶋茂雄の言葉で『野球とは人生そのものだ』という言葉が有りますがまさにその通りだなと思っていました。

 

しかしその僕が空手を始めるようになるとは思いませんでした。

 

そのきっかけは当時小学2年の息子が膝の下にアザを作って帰ってきました。何か怪しいと思って一緒に風呂に入った時に聞いてみました。

まもすけ 『そのアザどうしたの?』

息子   『転んだ』
まもすけ 『そんなところ転んで出来るはずが無いよ』
息子   『・・・・』
まもすけ 『誰かに蹴られたか?』
息子   『うん・・・』
まもすけ 『誰だ?』
息子   『隣のクラスの女の子』

 

まもすけ 『女の子?? お前悔しくないの』
息子   『悔しい・・・』

まもすけ 『お前、強くなりたくないの?
息子   『強くなりたい・・・泣』
そんな会話をしたと思います。

そこで僕はYou Tubeで空手の動画を見せました。息子はジャッキーチェンの映画、ベストキッドなど見たこともあり、かっこいいとも言っていたので

カンフーや少林寺拳法教室は無かったのでとりあえず空手の動画を見せました。空手やってみるか?と尋ねたところやってみたいという事でしたので、小学校の体育館で稽古している空手チームがあったので、息子を最初に空手を始めさせました。その1ヶ月後に、何故だが僕も一緒に空手を始めてました。空手の先生に薦められて半強制的のような感じでしたが。

空手は野球と違って個人競技です。

野球はチーム戦なので、例え自分が調子悪くても他の誰かが活躍すれば勝ったりします。空手は勝つも負けるも全て自分次第。試合などの組み合わせの運もあるでしょうが。なので自分がやらなきゃ勝てない。でもやったらやった分だけの結果がそこそこ付いてくる。そんな事に気付きながら空手を今もやっています。この気付きってビジネスにもとても共通しているところがあるなと空手というスポーツを始めて気付きました。

この時はまだどん底でしたが(笑)

 

話は戻って、ここで今もお世話になっている師匠との出会いがありました。

2012年の11月です。

インフォプレナーさんが主催する懇親会に参加した時の事です。僕の目の前に背もでかくごっつい人が座りました。僕はとても怖く感じて何を話していいかわからなかったのですがとりあえずその人と色々お話をしました。その方が今の師匠でお付き合いさせてもらっています。超怖そうな方だったんですが、話をしたらとても親身になって聞いてくれてとても話やすくてとても楽しくて、また頑張るぞという気持ちにさせてくれました。

その時にせどりのお話しもしていたのですが、せどり??って感じでスルーしていてただもらった名刺を大事にしまって何かあったら連絡しようという位でした。ただその時はモチベーションって上がるんですが、その上がったモチベーションってすぐに急降下するもので全くいつものテンションに下がっている自分がいました。そして2012年の年末大晦日は神社の警備をやっている時に新年を迎えました。

 

happy new year~!!

なんて若者が大声で酒を飲みながらを羨ましく見ていた事を今でも鮮明に覚えています。

 

全く何をやってもうまくいかない状態ってのが続いて挫折状態、ノウハウコレクターだった時、そういえばせどりって言ってたな!と思ってせどりの事を師匠にメールして聞いて、DVDせどりの商材を師匠から購入して、師匠が主催しているせどり教室スカイプチャットグループにも入る事になりました。2012年2月の出来事です。

しかし・・・そこでもまた僕が得意とするノウハウコレクターぶりを発揮する事が出来ました。ブックオフに行ってさて買うぞ!!(その時は仕入れなんてレベルの問題ではありません)と思った矢先、ズラーっと並んでいるDVDを見て、頭が真っ白になりました。何をどうしらた良いかさっぱりわからないのです。そうです。僕は1つの商品を探すだけしか考えていなく、その商品が無かった途端やる気が一気に冷めてしまったんです。

これダメだ・・・とそこからせどりも諦めました。そこからはもうネットビジネスもせどりも諦めようと心に誓い、パソコンも開かなくなりました。
どうする事も出来ないまま警備のバイトをやり続けていたら、奥さんが内職を一緒にやるから手伝ってもらわないと終わらないから警備のバイトを辞めてと言ってきました。

警備のバイトも面白く無いから、すぐに辞めて、家で出来て、警備のバイトみたく移動なんて無いので楽だ~なんて思いながら内職を始めましたが、全く逆でした。付けまつ毛製品の内職です。1パック作るのに7工程位あり、1パック出来て7円だったと思います。それが超大変で、徹夜に近い状態で2人でやった時もありました。それで月2万とかでした。帰っては内職、空手の稽古は行けたものの、本業と内職の繰り返し。

頭がパニくって、奥さんと衝突しまくりました。こんな事の繰り返しが約半年間続いた所で、奥さんがフルタイムパートで働きたかった

会社に合格し、内職を辞める事が出来ました。

その半年間だったのですが、師匠のスカイプチャットせどり教室にはほとんど参加していない状態です。ですが、僕のiPhoneにチャット通知が毎日毎日通知されていたんです。

今日は何が売れた!仕入れ頑張ります!

売上げ○○万円などなど。
もう正直うざい、うざい、うざいとしか思えなく、師匠やチャットメンバーもうざいと思っていました。※ごめんなさい。でも当時は本当にそう思っていました。でも師匠は僕を退会させる事なく在籍したままの状態にしておいてくれてたのです。内職を辞めて、奥さんが働きに行く事になって、さて、僕はどうしようか?と考えていました。毎日毎日通知が表示されるせどり教室・・・・せどり、もう1回やってみるか!と思い、師匠にメール。

もう1回やってみたいのですがよろしいでしょうか?内容はもっとありましたが、お願いメールをしました。正直怒られるかな?ってかその前に僕の事覚えてくれているかな?半年間も連絡もしなかったので、不安だらけでしたが、師匠は怒る事もなく是非一緒にまたやろうと言ってくれました。

本当に嬉しかったです。スカイプチャットにまたやります!と宣言をして師匠から購入した商材をもう1度勉強しなおして、音声もiPhoneに入れて

車でも聞ける状態にして、ブックオフに行きました。

 

最初は棚のDVDを端から端まで検索、検索で何も見つからない時もありましたが、仕入れもそこそこ出来るようになり、そして現在に至っております!!最近は、DVD以外にも、本やCD、おもちゃその他いろいろも扱うようになりました!

 

2012年~2013年のこの2年間は何をやってもうまくいかない年でした。本当にうまくいかなく、そんな中、このせどり教室とは他に1冊の本が
僕をまた奮い立たせてくれました!!
それは、、、、
WS000751
2011年~2013年は大殺界だったのですよ。奥さんは細木数子が好きでなんとなく調べてもらったんです。ネットビジネスをかじったのは大殺界のど真ん中でしたw体調を崩したのも大殺界。そして2014年にそれから抜けられる・・・・

これは!!と勝手に思い込んでしまいました。かすかな希望を持ち、再度挑戦したってのもひとつです。全て自分の良いように解釈してしまいました。そんなこんなで今日まで継続して続けられています!

そこで僕のせどり実績を紹介します。

WS000051

 

まぁ、完全副業なので、仕入れに行けない日や月も多々有りますが、まあ、こんなもんでしょう。ちなみに日商での過去最高記録はこちらになります。

WS000025

1日で42万超え!2日で70万の売上を達成しております!!
とても長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!!

何をやってもダメだった僕ですが、今こうして実績を作る事が出来ています。

なので、挫折しそう、諦めた、どうしたら良いか解らないなどなど、ご質問がありましたら何でも良いので連絡ください!!

 

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どれでも良いので、ご連絡お待ちしております^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人:『まもすけ@空手家』

まもすけ
千葉県生まれ。37歳。小学生の子供が2人いて、楽しく人生を謳歌しています!またアパート経営をやっている資産家です^^
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